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2009/10 - 2010/08

 やんごとなき事情により、2009年10月から2010年08月のエントリが吹き飛びました。

 その内、手作業で復元する予定。

スルッとKANSAI

 台風直撃により、観光どころではないと思われた京都・奈良旅行も、7日の夜中に台風が過ぎてくれたおかげでほとんど影響は無く、通常通りに楽しむことができた。前半2日間は秋雨前線により雨模様だったが、後半2日間は天候も好転。充実した4日間だった。

 今回は奈良、京都、大阪、京都という関西巡りの旅になった。というのも、昔行った所を再訪しようということになったからだ。若かりし日の旅行をトレースする旅。海遊館、天保山観覧車、道頓堀、日の出うどん、第一旭、伏見稲荷など、以前に訪れた所を懐かしみながら巡った。

 特に、食の味は記憶を鮮明に呼び起こしてくれる。

 永観堂近くの「日の出うどん」のカレーうどんは本当に幸せになる味だ。雨で冷えた体がぽかぽかになり、食後はそこはかとない幸福感に包まれた。食べ物であそこまで幸せになれるのも珍しい。京都にいつまでも存在し続けて欲しい店。南禅寺方面に足を運んだ時には、絶対に立ち寄るべき。

 それから、京都駅近くの「第一旭」。今回で5回目くらいの訪問だが、毎回期待を裏切らない。常に安定した味を提供してくれる。言い過ぎのように思われるかもしれないが、日本の醤油ラーメンの中でいちばん旨いと思う。今までどれだけの醤油ラーメンを喰ってきたんだ、と鼻で笑われるのを承知で敢えて言いたい。おそらく、一度食べたら納得できるはず。軒を並べる「新福菜館」も有名店だが、やはり自分は第一旭が好きだと改めて思った。

 全体として再訪の旅ではあったが、新しい所にも足を運ぶことができた。奈良の興福寺、東大寺、春日大社、法隆寺。特に印象に残ったのは、法隆寺の釈迦三尊像。雰囲気に圧倒された。東大寺の盧舎那仏像はとても有名だが、修学旅行生の喧騒と知名度により、心から楽しむことができなかった。それに比べて、釈迦三尊像は一目見て顔立ちに圧倒された。

 本橋君に薦められた平等院鳳凰堂も良かった。行く途中の道が良いという言葉のとおり、立ち寄りたくなる店が多く軒を連ねていた。「永楽屋」でブックカバーを買い、「中村藤吉本店」で宇治のふきよせと抹茶カプチーノを頂く。旅行は目的地とそれまでの道程をいかに楽しむかが鍵だということを改めて感じさせられた。

 出費は嵩んだが、総じて満足できる旅だった。これも1年に1度。旅の間は全力で楽しむ努力をするべきなのだ。それを体現できた旅であった。

SWまとめ。

■取手送別会(9/18)
 渋谷の海峡で同期飲み。同じ課で2ヶ月以上研修をしていた連中ともバラバラに。一人は取手に行ってしまうので、今生の別れとなるでしょう。先日、休出で取手に行ったのも、取手サーバ室の静脈認証に登録済みなのも何かの間違いだろうね。そうそう取手に行くことなんてないからね。今生の別れだからね。寂しいね。

■曙橋(9/19)
 今年から一人暮らしを始めた友人宅へお邪魔する(この「お邪魔する」が本当の意味で「お邪魔している」ということに何人が気付くだろうか)。旅行土産の地ビールと日本酒を頂いた。やはり持つべきものは良い友人だ。別に酒を買ってきてくれたから、とかいうつもりはない。後日、浅漬けの素を買ってきて、キャベツ×キュウリ×大根の浅漬けを作ってみました。やっぱり旨いね。漬け汁は少なめで野菜の水分でっていうのも納得。

■本門寺(9/20)
 別記事参照。鶏と大根の照り煮と浅漬けを作る。

■kyct(9/21)
 アンサンブルが楽しい。調子は良くないけれど、社会人になっても吹ける喜びを毎回噛み締めている。練習後の飲みが楽しいというのも確かにあるのだが、それは多分、練習が楽しいから十分に楽しいのであって、飲み会だけやってもただ楽しいだけなのだ。そして、練習をもっともっと楽しくしていかなきゃいけない、と思っている。

■G(9/22)
 本番まで後3回なのに、ポケモンの合奏に乗っていなかったので、重い腰を上げてようやく参加。やっぱり打ち込み系を楽器でやるのは骨が折れる。楽器用に練られていないものを機械のようにさらうのは辛い。もっと個人練しないと。しかし、合宿行きたかったなぁ。

■買い物(9/23)
 別記事参照。

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 夏期休暇の反動なのか、今回は全くプランを練らずに突入したのもあって、比較的まったりした連休だった。10月頭にフリーバカンスもあるし、あまりSWの意義を見出せなかったと言えばそれまで。それでも、いつもながら友人は重要。

空っぽ

 相変わらず、自分には何もないのだなぁ、と思い知らされる。別に、仕事の上でとか、スキルうんぬん、知識うんぬんという話だけではない。自分が空っぽな人間である気がしてくる。気がするのではなくて、多分本当にそうなのだ。毎日、えも言われぬ焦燥感に駆られる。

 多分、仕事に慣れてスキルが上がっても、楽器に読書に旅行に飲み会にと日常生活が充実しても、本質的には拭えないものなんだろう。自分という枠に囚われている限り、抜け出せない。常に逃げ場のある生活は、凡庸だからこそ安全だ。その凡庸な生き方にどうにか意味付けをしようとするから、無理が生じる。

 凡庸な道を歩む覚悟を決める。勇気の要ることだけれど、いつまでも「ここは、、、」と思っていたら、おそらく死ぬ時まで「こんなはずじゃなかった」と思うことになる。今を否定し続けて、結果的に凡庸な人生を送っていたというのが、最も恐れるべき最期だ。

 しかし、今まで何度となく同じようなことを考えて、何か変わったことがあったか?書き殴るより前に行動をしろ。

違和感。

 飲み会から帰ってくると、大体「今日の飲み会はどうだったか」ということについて、考えを巡らせる。この「今日の飲み会はどうだったか」ということを振り返る余裕もない飲み会というのが、総じて良い飲み会だということは言うまでもない。(こういう話をし始めた時点で、「また飲んで気分が良くなっているのだな」と考える人は賢明な人と言える。)

 しかし、「今日の飲み会はどうだったか」ということを考えた上でもなお、「楽しかった」と言える飲み会がないわけではない。飲んで帰ってきた人間がするべき行動は一つで、ただその酔いが回った状態で床に入って眠るというのがベストな選択であるとは思う。異論は認めるが、しかし、誰もが経験したことがあるように、酔いが回った状態で横になって思考を停止するのは、何より気持ちがよい。正しい、正しくないを越えて、ただ「気持ちが良い」。その状態に至るために、人は酒を飲むのではないかとさえ思う。

 それを理解して、毎回飲み会に臨む。それでも、必ずしも所望の飲み会に参加できるわけではない。金を払っただけと感じる飲み会も少なくない。しかし、それは飲み会自体のクオリティが問題なのではなくて、それを楽しめなかった自分の責任なのだということも分かっている。その事実に、飲み会に参加した後に気付くこともとても多い。

 そんな中で、何が言いたいかと言えば、今日の飲みが「どうだったか」ということだ。総じて言えば、何の変哲もない飲み会だった。それはどの参加者に聞いても同じ答えが返ってくると思う。言葉通り、「何の変哲もない飲み会」だったのだ。しかしながら、そんな飲み会の後に、何を書くべきことがあるのか。それがこれを書いている理由になる。

 それは単純に言えば、「環境の変化」だ。それ以外の何ものでもない。確かに、物理的な距離と、タイミング的に言えば、大きな変化に見えないようになっているかもしれない。実際、異動した自分でさえ、その変化に大した重要さを感じていなかったのだ。ところが、飲み会に参加してみて改めて、実際に異動してみて分かる違和感が、自分の身に降りかかってきているのもひしひしと感じたのだ。

 全体研修が2週間、実習が2ヶ月、研修が2ヶ月。それぞれに短い。あっという間に過ぎていった。それでも、それぞれが自分の中で、大きなウエイトを占めていることに、終わってから気付くのだった。そして、気付いた時には、次の環境に慣れなければいけない状況が目の前にある。過去を邂逅する暇などない。過去を糧に、今の自分を作っていかなきゃいけないのだ。