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すばらしい新世界

すばらしい新世界 (中公文庫)
池澤 夏樹
中央公論新社
売り上げランキング: 177490

 700Pに及ぶ長編小説というだけあって、本当に多くの事柄を含んだ小説。それでいて、読み辛いとかくどいとかいうことは一切ない。むしろ、1章1章に読ませる部分があって、うんうん唸ったり、クスリとほくそ笑んだり、グサっと心に刺さったりする。「やがてヒトに与えられた時は満ちて…」を読んだ時の衝撃も、それはそれで大きなものがあったのだが、この小説もまた違った意味で自分の中に大きく残る小説だった。

 この小説は本当に色んなメッセージを含んでいて、「これはこういう小説だ」と一言で表せるようなものではない。むしろ表そうとすること自体がナンセンスであるほどだ。でも、これほどある意味で欲張りに、詰め込みに詰め込んで書いた小説がこれほどサッパリと読める、心に入ってくるというのは本当にスゴイことだ。自分のような凡人が、これほどのメッセージを一つの物語に詰め込もうとしたら、冗長になりすぎてくどいと言われるに違いない。確かに職業としての小説家なのだから、それが出来て当然なのだと言われれば確かにそうなのかもしれない。しかし、ただ一つのテーマを書くにも冗長にならざるを得ないのだ、と開き直っているような小説家がこの世の中にはいないだろうか?

 池澤夏樹の文章の魅力はそこにある。小説の中に、「形容詞が多すぎる文章は疑った方がいい。そのような文章には、必ず裏に知られたくない真実がある」というようなことが書いてあった。これは全く疑う余地がないほど正しい。本当に文章が上手い人、或いは話が上手い人というのは、少ない言葉、簡潔な言葉で伝えたいことを伝える。ムダに話が長い人、文章が長い人(自分も含めて)は言いたいことは少ないのに、それを伝える文章、言葉が冗長なのだ。「完璧とは、何かを足せない状態になることではない。 何も削るものがなくなった状態のことだ」。つまり、そういうことだ。

 その池澤夏樹が、700Pに及ぶ長編小説を書いているのだ。そこに含まれるメッセージが多岐に及ぶのは当然だ。そして、それが決して冗長にならず、すっきりした言葉で読者の胸に迫ってくる。そんな小説が良い小説でないはずがない。今まで、池澤夏樹を知らない人に何か一冊薦めるのならば、取っ付きやすさなどをふまえて「南の島のティオ」あたりを薦めるのが妥当だと思っていた。しかし、これから「池澤夏樹がどんな作家か知りたい」と言われたら、迷うことなくこの作品を薦めるだろう。それほど、この作品は池澤夏樹という作家の成分を多く含んだ良作だ。

 続編である「光の指で触れよ」が今年発売されている。是非、そちらも読んでみたい。

やがてヒトに与えられた時が満ちて...

やがてヒトに与えられた時が満ちて… (角川文庫 い 58-2)
池澤 夏樹 普後 均
角川書店 (2007/11)
売り上げランキング: 13622


 この小説は、凄い。人生観が変わるほどの衝撃を久々に味わったかもしれない。冷静に上手く書評が出来ないほどだ。これまでも池澤夏樹の本はたくさん読んできたし、美しい話も温かい話もうなるような話も心に響く話も体全体、心全体で目一杯享受してきた。池澤夏樹が用意した物語という列車に乗って、色んな風景を、色んな人たちを見てきた。それでも、今まではどこか池澤夏樹本人の、美しい文章を書く技量に魅了されていた節がある。

 しかし、この小説は明らかに違う。池澤夏樹から小節という媒体を使って、確実に自分自身の人生観を、死生観を変える程の衝撃を受けた。ただ他人の思考を追体験するのではない。この本は小節であり、池澤夏樹自身の思弁であり、同時に自分自身の代弁であり、ひいてはヒトの行く末だ。スケールが大きすぎて、これ程の話を収拾させるということは生半可なことではない。著者自身の文庫版あとがきにもあるように、池澤夏樹がこの小説を書くに至った要因はいくつかある。しかし、考え得る要因にそれ程の意味はない。これはもう書かれるべくして書かれた小節なのではないか、と思う。池澤夏樹という『ザンジバル』が、ヒトのメッセージを『そっちにいるあなた』に送るために。

 構成としては、「星空のメランコリア」の4編がおそらく後の表題作のプロット的な役割を果たしているのだろうが、この2つが同時に同じ本として刊行されたことも大きい。前半は日本放送出版協会が、後半は河出書房新社が刊行したもので、本来、別々の本として世に出ているものだ。しかし、角川書店の努力により、こうして1つの文庫に収まっている。人為的配慮が働いているにせよ、この必然も作品が生まれたのと同じくらい自然だ。そして、この2つの作品がこの文庫を手に取ったヒト(自分も含めて)に同時に伝わることが圧倒的に価値のあることだ。

 ここで内容に関して論じるのはおそらくナンセンスだろう。きっと自分はこれから何回もこの本を読み返す。読み返しては気付き、気付いては読み返すだろう。とにかく、初見の今確実に思うことは「とてつもない小説に出会ってしまった」ということだけだ。

太陽の塔/グランド・フィナーレ/クローバー

太陽の塔 (新潮文庫)
太陽の塔 (新潮文庫)
posted with amazlet on 08.01.20
森見 登美彦
新潮社 (2006/05)
売り上げランキング: 1116

 評価が難しい。森見登美彦らしさは出ているんだが、やはりデビュー作、しかも院生時代に書いた作品だけあって、テーマが散逸している印象もある。真面目なお堅い文体でアホらしい描写をする、という森見節の片鱗は見られるのだが、「夜は短し歩けよ乙女」のような作品全体としてのまとまり、滑稽さを上手く生かした爽快さが弱い。ただのクソ大学生のどうしようもない日常なのに、本人たちはそれを自覚するのを拒否して特別なもののように思い込むという、大学生特有の性質を表現するのはさすがに現役院生だけあって上手いのだが、一歩間違えるとそれが創作の小説ではなくて単に自らの独白になってしまうような危うさがある。ただ、この土台があったからこその今の森見文学なのかな、とも思う。読後感としては、作品全体として訴えかけてくるもののイメージがふわふわしていて、イマイチ掴みづらいという印象があるのだが、大学生のモラトリアム感覚、壮大なバカをこよなく愛する感覚自体がふわふわしているものだから、それでいいような気もする。

グランド・フィナーレ
阿部 和重
講談社 (2005/02/01)
売り上げランキング: 66940


 巷でロリコン文学と呼ばれているわけだが、多分そこに焦点を当てすぎると良く分からなくなるような気がする。この物語は「過ちを犯した男の再生の物語」なのか、或いは「ロリコンは死んでも治らないという絶望の物語」なのか、図りかねるものがある。自分はひたすら前者であることを願って読んでいたのだが、この作品の締めくくり方ではとてもじゃないが安心して前者だと言い切ることはできなかった。

 作品を通じて常に感じる違和感は、この主人公が本当に自分の過ちに気付けたのか、という部分。当然、冒頭部分の待ち伏せからは微塵もそんなことは感じられないし、Iにホテルで他人事のように自らの罪を独白する場面でも違和感は拭えない。おそらく違和感の根底にあるのは、ひたすら主人公のモノローグとして語られるこの作品が、一見するとまともな人間の語り口で紡がれる単なる記録のように思えるからだ。おそらく客観性が恐ろしいくらいに薄れている。客観性を持って自分の行為を自戒しているという記述でさえ、違和感を感じざるを得ない。本当の意味で自分のしたことの大きさを理解したのだ、と読者が安心できる流れになっていない。自身の行為の取り返しのつかなさがIからの言葉という形で書かれているというのが、さらにその違和感を増幅させる。

 その違和感を引きづったまま、作品は進み、地元に戻った主人公の自戒の日々が後半で始まる。そこでムリに子供を見ないように、接しないように努力する主人公。そして、二人の少女、亜美と麻弥と始まる自らの再生を賭けたような演劇の日々。主人公は全財産を叩いて言葉通り自らを賭して、最高の本番を迎えさせようと努力する。ただ、その自戒する姿、演劇に尽力する姿にも違和感を感じるのだ。「今まで少女たちから奪った時間は取り戻せない」のに、演劇に打ち込んで亜美・麻弥に尽力することによって、「自分の罪を浄化することが出来る」と勘違いしているのではないか。他人(I)の言葉ではなく、自ら自分の罪を認識するのはいつなのか。

 結局のところ、物語の最後までこの主人公に感じる自己中心的性質は払拭できない。そして、迎えるラスト。おそらく、誰もが自らが描くハッピーエンドを作品の最後に付け加えたいと思うはずだ。つまりは「過ちを犯した男の再生の物語」としてこの作品を消化したいと思うはずなのだ。しかし、それが出来ない不気味さ、どうしても拭えない違和感がこの作品にはある。他人の痛みを素で理解できない人間は恐ろしい。

クローバー
クローバー
posted with amazlet on 08.01.21
島本 理生
角川書店 (2007/11)
売り上げランキング: 49445


 華子と冬冶、双子の姉弟の大学時代を描く、著者曰くモラトリアムとその終わりの物語。最初は双子の物語なのだが、最終的な帰結として冬冶視点を貫く。手のかかる姉に振り回され頼られ、言うなれば自分を殺して過ごすことに慣れていた冬冶は物語を通して何度も自分とは何かを自問する。

 この作品を冬冶に感情移入して読んで感じたのは、優しさや気遣いが自己防衛手段として用いられてしまう怖さ。相手が傷つかないようにと思って他人に与える優しさや気遣いが、実は自分を守るための保険に摩り替わってしまう。そんな風にして出てきた優しさや気遣いは、本来の性質を失って相手を傷つけるものにさえなってしまう。その優しさを本当の意味で優しさにし得るのは、同情ではなく決意だ。曖昧な優しさは相手に無用な負い目を感じさせる。

 冬冶の選択した優しさは決意に裏付けされたものであって、それは一般的な倫理観や正義としてどうかという性質のものではなくて、冬冶の信念に基づいていたものだ。こういった状況になった時の選択は個人個人で当然異なるだろうが、ただ、個人として決意に確かに裏付けられた選択をする、ということが、自分にとっても相手にとっても偽りのない選択になる。

 この人は凄く文章が上手いのだが、時々必要以上に書くべきことを抑圧して書くという感じがする。変に意識しすぎなところと、のびのびと書いている部分があって、それもまた味と言えば味なのだが、文章そのものとして印象に残る文章というよりは、作品全体の印象として頭に残る文章という趣。全体としては、途中から連載小説になったというだけあって、物語の最初の趣と最後の趣が若干異なるので、ムリヤリ一つの作品としてまとめたという感じは否めない。ただ、読ませる文章だし、一つ一つの話のまとまりもいい。オムニバスのような感じか。本当の意味での長編を読んでみたい気もする。

インディヴィジュアル・プロジェクション/卵の緒

インディヴィジュアル・プロジェクション (新潮文庫)
阿部 和重
新潮社 (2000/06)
売り上げランキング: 62814


 「グランド・フィナーレ」で芥川賞を獲った時から、阿部和重は読んでみたかったのだけども、なかなか積読のまま消化できず、先日ようやく1冊読むことができた。作品紹介に「ハードな文体。現代文学の臨界点を越えた長編小説。」とあって、そう言われればそうなのだが、どこか違和感を感じる。一見ハードに見せていて、設定や起きる出来事や事件も確かにハードボイルドなのだが、読んでいるとそこはかとなくどこか軽々しい、実は正常の判断力を持ってすればそれほど大したことではないことを、錯乱状態に陥った視点から表現することで、大げさに誇張するような印象。最後が近づくにつれて、自分の中では夢オチとか「シークレットウインドウ」みたいな錯乱オチが来るんじゃないか、とドキドキしていたのだが予想はある意味では的中した。

 あまり内容について言及するというのは感想を書く上でやってはいけないことなのだろうが、この最後のオチにはどうしても言及せざるを得ないくらいのインパクトがあった。最後まで読み進めてきた読者に「?」を抱かせるに十分なインパクトがある。おそらく、これがあるかないかで、この作品は全く別のものになる。なければ読み進めたまま、合っているにせよ間違っているにせよ意外とすんなりと自分なりの理解ができたのかもしれないが、最後のオチがあることで、読者は今まで自分で形成してきたこの作品の世界観というものをある意味でぶち壊されてしまい、宙ぶらりんの状態になる。ただ、これはいわゆる夢オチのような一般的にタブーといわれる手法とは一線を画している。

 この何ともいえない気持ち悪さ(作品としての読後の気持ち悪さではなく、自分の理解が追い付かないという意味での気持ち悪さ)を抱えたまま、解説を読んでみると、なるほど、と自分の感じている気持ち悪さを少なからず埋めてくれることとなった。解説でもあるように、この作品について書くのは難しい。しかし、最後のオチとスパイが持つべき多様性、自己と他人の関係性、そして日記部分の最後のシーンから読み解くと、案外すんなりと体に染み入ってくるような気がした。小説を読む際に、「この作品ではこのように感じるのが正解」という国語の授業のような読み方をする必要は全くないし、むしろ学校の勉強の慣習からそのように作品を読んでしまうことはある意味悲劇だ。ただ、この作品のように、自分が作品から感じたことを表現するのが難しい小説を読んだ後の気持ち悪さを、解説という他人の手を借りるにせよ、最終的に消化できたと感じられた時には、本はやはり面白いと思わざるを得ないのだ。

卵の緒 (新潮文庫 せ 12-2)
瀬尾 まいこ
新潮社 (2007/06)
売り上げランキング: 22147


 「天国はまだ遠く」に続いて、瀬尾まいこ2冊目。この作家は淡々と過ぎる日常からしっかりとしたテーマを紡ぎ出すことが本当に上手い。今回の作品は、笹生陽子作品や池澤夏樹の「南の島のティオ」だとか、そういうそこはかとなく温かい作品たちと同じ雰囲気がした。そういう作品は言うまでもなく好きだ。作者からの投げかけを押し付けられることもなく、何の苦もなく読めて、読んだ後の体には確実にじんわりと手応えが残っている。あまりこういう言葉を使うのは適切ではないかもしれないが、敢えて使わせてもらえば癒しだ。アロマセラピーやらヒーリング・ミュージックやら、世の中には色んな癒しが蔓延しているのに、ブックセラピーという言葉があまり浸透していないのは由々しき事態だ。元々、読書自体が、物語であれば登場人物と自分を同一視して楽しむ、啓発書であれば先人の力を借りて自分の心を強くする、というように精神的な側面が強いのだから、読書という言葉自体がそういう意味も含んでいると言えるのかもしれない。ただ、もしブックセラピーという言葉、本で癒されるという意識が世の中に浸透してきたとしたら、この作品は確実にマストアイテムになる。

 このように、目に見える強烈なインパクトはないにせよ、自分の中に良い意味で残るものが確かにある本というのは、意外と少ない。どうしても奇抜な設定、あり得ない展開、お涙頂戴の感動の押し付け、等々というのが、どの作品にも少なからず含まれてしまうし、そういう要素のみで成り立っている作品もいくらでもある。それはそれで人を楽しませることが出来ればエンターテインメントだし、そういう要素が全く必要ないわけでもない。ただ、「そういう要素を用いずに良い作品を書ける」ということも非常に貴重だ、ということだ。瀬尾まいこはそういう数少ない貴重な作家の一人だと、二作品しか読んでいないながらも思う。何もしたくない時や、ただ気負わずに本が読みたい時、読書を心から楽しみたい時に手に取ると、きっとこの作品の良さがすんなりと染みてくるはずだ。

 今後の予定。現在、森見登美彦「太陽の塔」。後に阿部和重「グランド・フィナーレ」、石田衣良「娼年」、池澤夏樹「花を運ぶ妹」等。もうホント大学時代何してたんだろ。もっと本読めたよなぁ。

タマリンドの木/男の子女の子/天国はまだ遠く/1ポンドの悲しみ

 1週間ちょいでこれだけ読んだのは初めてかもしれない。170円で何時間でもいられるCAFFE VELOCEは偉大。

タマリンドの木 (文春文庫)
池澤 夏樹
文藝春秋 (1999/01)
売り上げランキング: 211093

 著者には珍しい純粋な長篇恋愛小説。長さとしては中篇小説の部類に入る容量の作品だが、内容の密度が大変濃い。この作品の中に、現代社会の恋愛事情、否、現代社会そのものが全て含まれていると言っても過言ではないくらい、二人の男女の関係を通して現代の真理とも言える事実が淡々と伝えられている。人を好きになるということは、ただその人を好きだから好きということで片付けられる程簡単なことではないのだが、それに気付くためのきっかけというのはなかなか日常生活の中で現れるものではない。そのきっかけがふと現れた時に、愛し合う二人はどう行動するのか。自分がこの作品のどちら側になるのか、どちらにもならないのか、それは分からない。ただ現代社会において、誰でも同じ境遇に陥る可能性は十分にある。自分の生き方を貫くのか、相手の強い生き方を尊重するのか、それとも自分の空を破れないのか。どの選択をしたとしても、先の道は続いていく。この作品は一つの結論を出したに過ぎない。結論の先に続く道に、更なる人生が続いていることは明白だ。一つの結論は新しいスタートに過ぎない。

男の子女の子 (河出文庫)
鈴木 清剛
河出書房新社 (2002/09)
売り上げランキング: 322263

 若者の日常を淡々と書き綴ることを得意とする著者の特徴が良く現れている作品。あまりに狙いすぎて読みづらいというか、うーんと思ってしまう部分はあるにしても、若者の日常の「よく分からなさ」を表現する手法として、こういう方法を取ったことも別に理解できないことではない。女というのは良く分からない。良く分からないまま、自分に従わせている、或いは、自分は自分の考えで行動している、と思っていたものが、良く考えてみたら振り回されていたのは実は自分の方だった、なんてことを気付いた時には周りに誰もいなくなっている。いなくなる前に教えてくれよ、なんて言ってみても、そんなことを教えてくれるような奴らだったら、俺ももっと上手くやれていたんじゃないか、と後悔先に立たず。女ってのは難しい生き物です。

天国はまだ遠く (新潮文庫)
瀬尾 まいこ
新潮社 (2006/10)
売り上げランキング: 9317

 本当に死にたい、と思うことは多々あるにしても、それに至ったきっかけというのは個々人で異なる。加えて、他人のきっかけを聞いてみると本当にそんなことで死にたくなるのか、と思うような些細なことで驚くことがある。ただ、そんな客観的に些細なことでも、当人にとって耐え難い苦痛となっていることは理解しなければならない。別に同情することが必ずしも真、ということではない。だからと言って、頭ごなしにそんなことで死ぬなんて馬鹿らしい、というのもまた違う。

 この作品で出てくる田村さんの優しさは、同情することも突き放すこともない所にある。大雑把に接しているが、かといって無愛想であったり、嫌悪しているわけでもない。多分、本当に辛い人たちというのは、そういう関係が一番心地よいのだろう。誰かに傍にいて欲しい、でも、深く踏み込んでは欲しくない。この葛藤はおそらく精神的に不安定になったことがある人なら良く分かることだと思うが、そういう時に"ただ傍にいてくれる人"の存在というのはとてつもなく大きい。そして、時間をかけて自らその"傍にいてくれる人"に近付いていく。それが一番良いリハビリになる。

 ただ、この作品ではそれが身近にいなかった。そして、やっと見つけた"傍にいてくれる人"に近づいてみた時に、その人の傍に自分のいる場所がないことに気付いてしまった。これは確かに辛い。ただ、一つの結論を出すきっかけとして、その人の優しさはかけがえのないものであったし、それによって新しい一歩へ踏み出す自分を生み出すことが出来た。"傍にいてくれた人"の傍にいるということを着地点にすることはできなかったにしろ、傍にいてくれる人の存在を感じることで生きていく糧が生まれた。

 そして、定住する場所ではないにしろ、帰る場所が出来た主人公は再び自分の人生を歩み始める。非常に後味の良い再生の物語だ。

1ポンドの悲しみ (集英社文庫 い 47-4)
石田 衣良
集英社 (2007/05)
売り上げランキング: 20644

 スローグッドバイに続いて石田衣良が描く30代前半の恋。恋に恋する時期は過ぎて、それぞれの生活の中で少しずつ恋に落ちていく。歳を取ると恋をしてはいけないのではなく、恋の仕方が変わっていくのだ。解説から拝借すると、「あなた」しか見えていなかった恋から、「あなたとわたし」が見える恋になる。素晴らしい解説だと思う。この作品を端的に良く表した表現だ。大人の女性の強さと弱さ、迷いと決意を上手く描いた10本のショートストーリー。

 後1冊、村上春樹の「神のこどもたちはみな踊る」を読んだんだが、まとまらなかった。色々と思う所はあるのだが、村上春樹を自分の感じたように端的に表現するのが難しい。色々と思うところがあり過ぎて枝葉が伸びすぎてダメなんだろう、きっと。