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示唆

 村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」。3回目の挑戦にして、ようやく読み終えた。「これが一番好きだ」という人がいるのも頷ける。村上春樹の構築する喪失感に、心が無意識に呼応してしまう。それは、山本直樹が構築する世界観と似ている。

「それよりは今すぐぐっすりと眠りたい。二時半になったら起こしてくれないか。それまでは僕のそばに座って、僕が眠っているのを見ていてほしいんだ。かまわないかな?」「あなたがそう求めるのならね」と彼女は微笑みを顔に浮かべたまま言った。「何よりもそう求めているよ」と僕は言った。
 それにしても、なぜ読むのにこんなに時間が掛かったのだろう。最初に読んだのは、確かまだ高校生の頃だった。その次が、大学に入った直後。そのどちらもなぜだか読み終えることができなかったのだ。そして、3回目。読み始めたのは社会人を控えた学生最後の春休み。読み終えたのは社会人になってからだった。

「君を失うのはとてもつらい。しかし、僕は君を愛しているし、大事なのはその気持のありようなんだ。それを不自然なものに変形させてまでして、君を手に入れたいとは思わない。それくらいならこの心を抱いたまま君を失う方がまだ耐えることができる」
 とにかく、世の中は多くの示唆に満ちているのだ。

読み直し

 以前、読んで良い読後感だと思っていた「ポトスライムの舟」だが、ふとした瞬間に違う読み方があるんじゃないかと不安に思い、自分の意見をすっぱり流してもう一度考えてみた。

 ふとした瞬間というのは、人が変わる瞬間について考えていた時だった。「ポトスライムの舟」が、もし変わりたいのに変われない人の救えない話だとしたら、俄然話が変わってくる。周りの人の優しさが、突然ぬるま湯になって、現代社会への警鐘になりかねない。慎ましやかに過ごすナガセが現状から抜け出せないのは、実は優しい人たちによって保護されている、居心地の良い周囲の環境への依存が原因じゃないのか。

 周囲の人間たちの温かささえも持ち合わせず、現状から抜け出せない人はいるだろうが、左右を友達や家族に囲まれている安心感は、さらに現状維持を加速させる。そう考えると、ナガセの慎ましやかさは、ある意味で危険なのかもしれないと思ったりした。

 以前に2度読もうとして、何故か2度とも途中で挫折した村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」。3度目の正直で初めて下巻に辿りつくことができた。今回は何とか読み終わりそうだ。

 これを読み終われば、残る長編作品は「ねじまき鳥クロニクル」だけだが、3月中にはまず無理だろう。自分の中で、村上作品は高校生から大学生の内に読むものだという偏見があるのだが、なぜなのだろう?この歳で村上春樹を読んでいるのもなんとなく気恥ずかしい。多分くだらない反メジャー精神が根にあるのだろうけども。メジャー・マイナーという括りよりも、作品自体のおもしろさを知るべきだろうに。少なくとも、自分は村上春樹が好きなのだ。

 そういえば、全く関係のない話なのだが、いつも気になっていたことがある。個人的に最も好きな作家・漫画家である3人―池澤夏樹、村上春樹、山本直樹―の名前について。見れば分かると思うが、3人とも「樹」が付いている。この3人以外にも好きな作家・漫画家はいるが、大量に刊行されている著作物を読み尽くしたいと思ったのは、この3人くらいである。だからどうということもないのだが、無理矢理こじつけるのであれば、この3人が自分の心の樹を成長させてくれる貴重な存在であることは確かなのであった。それを或いは偶然ではなく、必然だったのだと考えることは、個人の考えとしては悪くない。

 「世界の終わり~」を読み終わったら、意を決して「ねじまき鳥クロニクル」を読み始めてみようか。池澤夏樹の長編も読みたいのがたくさんある。「キップをなくして」「きみのためのバラ」「光の指で触れよ」が早く文庫になって欲しい。きっと、まだまだ樹を成長させてくれるはずだ。

ポトスライムの舟

 今日発売の文藝春秋3月号を買って、「ポトスライムの舟」を読んでみました。

 受賞のニュースが出た時に、「30歳を目前に控えた契約社員の女性の日常を淡々とした筆致で描く」というような記述があったので、まさに「年越し派遣村」に象徴される現代社会の問題点を炙り出す小説なのかなぁ、と勝手に思っていた。

 でも、実際に読んでみると、重要なのはそこではないと思った。読み終わってから、池澤夏樹氏の選評を読んで、「なるほど」と唸った。

 「小説は社会を表現するために書かれるのではない。生きた人間たちを書いて、結果として彼らが生きる社会が描かれる。そこで社会は背景であって主役ではない。」

 言い得て妙だ。まさに自分の読後感にぴったりとハマる表現が大好きな作家によって成されていたことに、少なからず嬉しさを感じた。

 ナガセはおそらく普通の良い人であり、そして、周りを普通の良い人たちに囲まれて、支えられているのだった。それは、気の置けない親友であるヨシカであり、三十路を控える娘と共に穏やかに過ごすナガセの母親であり、借りた恩をしっかりと返すりつ子であり、ナガセのために自由研究をやって送る恵奈であり、傷ついたナガセを支えてくれた岡田さんである。

 物語を通して目標となっている「世界一周旅行」は叶おうが叶わなかろうが、本当は大した問題ではないのだと思う。契約社員で生活が厳しい、不安を感じるといった部分は人物を書いた上での二次的な産物であって、決してそれが表現の中心に据えられるわけではない。全ては最後の数行に集約されていた。良い読後感だった。

 しかし、ナガセとヨシカの独身組はカタカナで、りつ子、そよ乃の結婚組は漢字・平仮名で書いているのは、何か意図的な表現なのだろうか。読んでいてちょっと気になったが、考えられうる推論は今の所、用意できていない。

 何にしろ、良い小説を書く人がいるものだなぁ、と少し嬉しくなりました。

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 久々にライトノベルを読んだのだが、期待していた以上に面白かったので、何だかとても幸せな気分になった。

 タイトルは直球ラノベなのだが、中身は一般小説のラブコメと比較しても何ら見劣りしない。ラノベが一般小説に比べて質的に低いとかそういう風に聞こえてしまいそうであまり言いたくないのだが、もし万が一そう感じている人がいるならば、考えを改めてもらいたいという意味を込めて敢えてこう書かせてもらう。思うに、この作品は「夜は短し歩けよ乙女」と肩を張る良作ラブコメだと思う。

 典型的なラノベ展開かと騙されるプロローグ、読みやすい文章に支えられ、様々な伏線がテンポ良く回収されていく中間部の展開、タイトルの付け方に唸る後半部。そして、結末のなんと秀逸なこと。ラノベという枠を逆手にとって、何とも新鮮なラブコメに仕上がっている。

 中間部の痛々しさは読んでいて自分も胸がジクジクと痛むような感覚になってしまい、この負の空気をどうやって昇華させるんだ?と不安になっていたのだが、最終的な読後感は中間部のそれとは正反対であった。これぞ、学園ラブコメの真骨頂。

 最後の一文は本当に味わう価値有り。こういう本を読むと、読書熱が高まって良い。