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違和感。

 飲み会から帰ってくると、大体「今日の飲み会はどうだったか」ということについて、考えを巡らせる。この「今日の飲み会はどうだったか」ということを振り返る余裕もない飲み会というのが、総じて良い飲み会だということは言うまでもない。(こういう話をし始めた時点で、「また飲んで気分が良くなっているのだな」と考える人は賢明な人と言える。)

 しかし、「今日の飲み会はどうだったか」ということを考えた上でもなお、「楽しかった」と言える飲み会がないわけではない。飲んで帰ってきた人間がするべき行動は一つで、ただその酔いが回った状態で床に入って眠るというのがベストな選択であるとは思う。異論は認めるが、しかし、誰もが経験したことがあるように、酔いが回った状態で横になって思考を停止するのは、何より気持ちがよい。正しい、正しくないを越えて、ただ「気持ちが良い」。その状態に至るために、人は酒を飲むのではないかとさえ思う。

 それを理解して、毎回飲み会に臨む。それでも、必ずしも所望の飲み会に参加できるわけではない。金を払っただけと感じる飲み会も少なくない。しかし、それは飲み会自体のクオリティが問題なのではなくて、それを楽しめなかった自分の責任なのだということも分かっている。その事実に、飲み会に参加した後に気付くこともとても多い。

 そんな中で、何が言いたいかと言えば、今日の飲みが「どうだったか」ということだ。総じて言えば、何の変哲もない飲み会だった。それはどの参加者に聞いても同じ答えが返ってくると思う。言葉通り、「何の変哲もない飲み会」だったのだ。しかしながら、そんな飲み会の後に、何を書くべきことがあるのか。それがこれを書いている理由になる。

 それは単純に言えば、「環境の変化」だ。それ以外の何ものでもない。確かに、物理的な距離と、タイミング的に言えば、大きな変化に見えないようになっているかもしれない。実際、異動した自分でさえ、その変化に大した重要さを感じていなかったのだ。ところが、飲み会に参加してみて改めて、実際に異動してみて分かる違和感が、自分の身に降りかかってきているのもひしひしと感じたのだ。

 全体研修が2週間、実習が2ヶ月、研修が2ヶ月。それぞれに短い。あっという間に過ぎていった。それでも、それぞれが自分の中で、大きなウエイトを占めていることに、終わってから気付くのだった。そして、気付いた時には、次の環境に慣れなければいけない状況が目の前にある。過去を邂逅する暇などない。過去を糧に、今の自分を作っていかなきゃいけないのだ。

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